2012年が明けた。
『ガールズケイリン元年』である。元旦。広島に帰省中の戸田みよ子は地元の矢野・尾崎神社に初もうでに出かけた。
さい銭を投げ入れ、柏手をうつ。神妙な顔で頭を下げる。2つ、祈った。
「まず事故がなく、学校を卒業できまようにとお願いしました。それと、デビューして、強くなれますようにって」
まだ22歳。まぶしいほどの若さである。明るい。とても明るい。やんちゃと聞いていたけれど、受け答えはしっかりとしている。意外に真面目?
「ははは。いやいや。やんちゃです。この上もないくらい。きょうは猫かぶってます。はい。特技は食べることとおしゃべりです。話し出すと、もう止まんないですね」
よく笑う。話を聞いていると、なんだかこちらの心の奥底がホコホコと暖かくなる。でも、きっと照れ屋。「実は“びびり”なんです」と笑うのだった。
1月某日の伊東温泉競輪場での『展示訓練』もひどく緊張した。おカネは賭けられないけれど、ほぼ本番通りにレースが進む。強まる風雨にからだが少し、すくんだ。
「いま一番コワいのはけがして卒業できなくなることですから。タイムがでないと卒業できない。健康管理にも気を遣っています。けがしたくないし、風邪もひきたくない」
レース後、ガラスに覆われた特別観覧席のイベントスペースで「自己紹介」があった。ざっと30人ほどの男性ファンが囲んだ。酔客もちらほら。「がんばれ~」とあたたかい声援がとぶ。「おじさんは応援するぞ!」。拍手もドッと沸き上がる。
赤いひな壇の上にのって、戸田はマイクを握った。大声を張り上げた。
「広島の戸田みよ子です。女性でもこのくらいできるんだと思ってもらえるよう、迫力あるレースをしたいです」
あとで聞いた。迫力あるレースとは。
「やっぱりスピード感であったり、攻めにいく気持ちであったり、そんなものが表に出ているレースです」
バドミントンのトップ級の選手だった。
母の影響で3歳からバドミントンのラケットを握り、やがて本格的に競技をやりだした。才能を見いだされ、強豪の青森山田中学にバドミントンで移った。
でも中学校2年の時、壁にぶち当たった。腰のけがもあって、伸び悩み、つらくて苦しい日々が続いた。が先輩の言葉に救われた。「継続は力なりだよ」と諭された。
「先輩が私を気にしてくれていたんだと思います。何事も我慢してコツコツと続けることが大事だよって。やっぱ、ひとつひとつの過程を大事にしていけば、いつか大きな結果に結びつくのかなって考えるようになったんです」
バドミントンに熱中した。一番の武器はゲームメイクとテクニックだった、と戸田は振り返る。
「対人スポーツなので、駆け引きがあるのが魅力でした。戦い方をうまくみつけるのは得意だナと周りから言われていました。相手の読みを外して、小手先で勝負して。うっふふふ。あまり動けなかったんです」
つまりは「勝負脳」に長けていた。野球の投手に例えると、頭脳的なピッチングがうまい技巧派みたいなものだろう。
「対人スポーツはじゃんけんみたいなところがある。この人には勝てないけれど、この人に勝ったあの人には勝てるとか。瞬間的な判断力が大事だと思います」
広島・鈴峯女子高校を卒業し、秋田の北都銀行にバドミントンで就職した。日本リーグ一部の強豪である。2年間、正直、苦しかった。自身の力の限界がみえてきたからだった。
「みんな真剣に生活をかけて、バドミントンに取り組んでいる。そのなかでやっていく自信がなくなった。モチベーションが高まらない自分に苛立っていました。つらかった。苦しくて、周りが見えなくなっていました」
とくに秋田の冬は厳しい。ずっと重い雲に空が覆われ、雪が積もっていた。気が滅入った。もうやめよう、もう一回、違うことにトライできれば、そう思っていた時、ガールズケイリンに出会った。
父は中大で自転車競技をやっていた。競輪選手の父の友人から、「女子ケイリンが始まるけど、みよ子ちゃんはどうだろう」と聞かされた。決断ははやかった。2010年春、北都銀行を辞め、広島に戻った。ラケットを自転車のハンドルに持ち替えた。
競輪の厳しさにびっくりした。
「競輪って勝負自体は短いじゃないですか。バドミントンと違うから、練習も単発的なものと思っていたんです。でも入ったら、自転車の練習も長くて厳しかったんです」
自転車は左右のバランスも大事である。左右のペダルを踏みながら、からだを前へ前へと運んでいく。じつは、と小声で打ち明ける。バドミントンの影響で、左右の脚の太さも脚力もちがうのです、と。
右脚の太さが63センチ、左足は59センチ。
「バドミントンで踏ん張る右足と、蹴る左足はかなり差があるんです。バランスにちょっと苦しんでいます。意識的に左足を多めにトレーニングしています。こっちやって、こっちやって、こっちやって」
そう言いながら、右手で左脚、右脚、左脚をパシッ、パシッ、パシッとたたいた。
話が熱を帯びてきたからか、ふっくらほっぺが赤く火照ってきた。
どこか艶がある。秋田で生活していたから、「秋田美人と言われませんか」。そう聞けば、プッと吹き出した。
「でも秋田で日本酒大好きになって帰ってきました。あっはっは。お米の“あきたこまち”をたくさん食べて大きくなって帰ってきました」
食べるのは大好きだ。競輪学校に入ってからは、学校の食事ではお目にかかれない脂身のある肉が食べたくてたまらない。焼き肉、と口に出すだけで、ほっぺが緩んで落ちそうになる。
「ああ焼き肉とご飯だなんて、むっちゃ幸せですよね」
歌も好きだ。学校でもよく、鼻歌を口ずさんでいる。カラオケにもいく。絢香もいいが、八代亜紀の「舟歌」も好んで歌う。
一見、現代風のやんちゃな若者に見える。調子に乗って、羽目を外すこともあるそうだ。からだを小さくする。小声で漏らす。
「よく先生におこられています。どんなこと? いやもう、いっぱいあって言えません。ははは。いつも反省しています」
ただ笑いに隠された、強い視線も感じることがある。何だろう。勝負に挑む人ならではの覚悟か、女子ケイリンにかける意志か。
夢は、と聞けば、即答だった。
「自分が納得できるところまでやることです。悔いがないケイリン生活をしたい。いわば、燃え尽きるまで」
たぶんバドミントンは不完全燃焼だったのだろう。だから、いま頑張れる。完全燃焼を目指す。頭の中が真っ白になるまで。
もう後悔はしたくないのだ。つまりは、剣豪・宮本武蔵の座右の名、『我、事において後悔せず』の心境なのである。
「あっ。それいい感じですね。オンナ武蔵でいきます」
日々、精進。日々、後悔せず。まだ22歳。それでも言葉には濃密な歳月の重みはあった。
松瀬 学(ノンフィクションライター)1960年、長崎県生まれ。早稲田大学ではラグビー部に所属。83年、同大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。02年に同社退社後、ノンフィクションライターに転身。人物モノ、五輪モノを得意とする。著書に『汚れた金メダル』(文藝春秋=ミズノスポーツライター賞受賞)『五輪ボイコット』(ともに新潮社)『サムライ・ハート上野由岐子』(集英社)『匠道~イチローのグラブ、松井のバットを創る職人たち』(講談社)『武骨なカッパ 藤本隆宏』(ワニプラス)『ラグビーガールズ』(小学館)など多数。






